広島風お好み焼きについて その2  

お好み焼き2

お好み焼きは家庭では焼かなかったのだ

先の記事で小学校の頃の夜中のお好み焼きが幸せだったと書いたが、そのように幸せに感じたのは以下のような理由があったように思う。 現在はどこの家庭にもあるであろう卓上のホットプレート、これが存在していなかった。つまり、家庭では粉物を焼いて調理するときはガスコンロとフライパンしかなかったわけで、それでお好み焼きを作る習慣はなかったのだ。これが第一の理由。 第二の理由は、お好み焼きを家庭で食べる習慣や道具が確立していないので、ソースメーカーも一般消費者向けに販売はしていたが、それほど普及していなかった。 第三に、町内を歩けば1~2件は必ずお好み焼き屋があり、近所のおばちゃんが自宅兼お好み焼き屋をやっていて、子供だけで食べに行ったり、自分家からお皿を持参して、焼いてもらってお皿に載せて持って帰って家族で食べたりすることが習慣としてあった。上記3つの理由で、そもそも家庭でお好み焼きを焼く理由がなかったのだ。

ホットプレート現る

その、身近でありながらスペシャル感のあったお好み焼きが全国に普及し始めたのは、ホットプレートが普及した時期とほぼ同時期であったことは間違いない。 ホットプレートは1970年代に登場し、1977年頃に急激に普及した。その数年後の1982年におたふくソース株式会社はこれまでの瓶容器からプラスチック製(カバールというらしい)の軽量容器に変わっている。ホットプレートの登場によって、食卓のメニューに焼肉、焼そば、お好み焼きが加えられるようになった。そして、おかげで、「焼肉のたれ」と「お好みソース」は塩、醤油、砂糖、ソースとともに家庭での必須の調味料の地位を確立したわけである。1980年前後といえば、筆者は東京で学生生活を送っていた。 東京で広島風お好み焼きを焼いているお店は殆どなく、私が知っているのは都内で2件だけだった。それでも、広島風と聞いて何度かわざわざ電車に乗って食べにいった。値段が高いとか、そばが半玉で小さいとか不満もあったが、そこにはおたふくソースの味が、広島でしか味わえないはずの味があったのだ。しかし同時にこの頃から、東京にも「おたふくお好みソース」を置くスーパーも出始め、手に入れることが出来るようになり、まだ、高価ではあったが、ホットプレートも普及してきた。 ここに至って、ついに広島県人は日本の何処に居ても広島の味を味わうことが可能になり、筆者も高くて小さいお好み焼き屋の呪縛から開放されるようになった。
 但し、である。最初の何回かは広島風で作ろうとするのだが、お好み焼きをひっくり返す時には必ずといってほどキャベツが四方に吹っ飛び、プレートからこぼれるのだ。小さいホットプレートの上で広島風お好み焼きを作るのは実はとても難しいことだった。
 ここに至って初めて筆者はキャベツが飛ばないようにするためには、関西風の混ぜ方式が有利だと気が付き、以降、家庭でのお好み焼きは広島県人のくせに関西風と決まっている。
20160418