広島訪問
5月27日金曜日にいよいよアメリカの大統領が広島の平和公園に来られる。それについて一言あるわけではないがちょっと思いに耽ってみる。広島で生まれ、育った我々だけが共有する体験から培われたこの気分は文字ではなかなか表現できないとも思うが、まあ、ちょっと書き置く。 戦後71年が経つが、1945年の終戦時といえば、私の両親が10歳とか15歳の頃である。私の同世代の方ならそんな年齢の親を持つ人が多いだろう。私より若い人ならば、祖父母にあたるだろう。つまり、広島で育った、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、おじちゃん、おばちゃん達は被爆者、または被爆しないまでもその恐ろしさを体験している人たちであり、その血を受け継いでいるのが私や私の子供なのである。
平和学習
小さいの頃の記憶だが、小学生である。戦争だの原爆だの、最初から知っているわけでもないし、知ったところで興味を持つハズも無い。夏休みは、朝から「夏休み漫画大会」の魔法使いサリーちゃんを見たり、昼からは学校のプールに行ったりして呆けていた。しかし、8月6日になると、その日は「登校日」と決まっており、しかもいつもより早く学校に行かなければならなかった。 セミがミンミン鳴き、太陽が照り付ける中全生徒が校庭に整列されられ、そして8時15分には先生の「黙祷」の言葉でみんな下を向く。意味の解っていない子供たちはにやけたり、他所をチラ見したりして、1分間を過ごす。その後は、それぞれの教室に戻って昼頃まで戦争のことや、原爆のことについて学ぶ。興味の無い話ではあるが、なんとなく「ここではふざけてはいけない」という空気の読み方はこの頃に皆、学習したと思う。頭の中ではサリーちゃんや、アッコちゃんや、ジャイアントロボのことを夢想しながら静かにしていた。
お盆
約1週間するとお盆になるのだが、そんな呆けた子供でも、「お盆にはご先祖様が帰って来るんよ」とか「おかあさんのお姉ちゃんはピカで亡くなったんよ。」「ピカいうてなに?」「原爆よ。あんた知らんのん?」「知っとるけど。何処で死んだん?」「そりゃ、ここでよ。」「えっ、ここに原爆が落ちたん?」「ほーよ」「なんで家が在るん?」「そりゃ、また建てたけーよ、あほじゃねあんた。」
そんなことを聞いたりしているうちに、自転車で行ける距離に平和公園というものがあり、原爆資料館なるものがあるのを知る。その入場料が当時小学生が15円だったので、お化け屋敷に入るつもりで友達とわいわい言いながら入る。いくらあほなガキでも出てくるときは無口になっていた。 資料館に行ったことを友達に話すと、「行きたい」というからまた入る。 2度目でもやっぱり出てくるときは無口になる。
巷の雰囲気
夏のニュースには必ず原爆病院の患者さんや被爆者の語り部や、被団協の坪井直さんが出てきて、原爆の悲惨さを訴え、核廃絶を訴える。私が通っていた市内の小学校は原爆病院の被爆の患者さんにあてて手紙を書いたり、それを持って慰問に行った。鶴を折って原爆の子の像へ持って行った。平和公園のなかでみんなで語り部の恐ろしく悲しい話を聞いた。どれも、暗くて、ジメジメしていて、暑くて、退屈な行事でいやだった。子供なんてそんなもんである。少なくとも自分とその周りの友達はそうだったと思う。
そんなことを毎年繰り返してだんだん広島の大人になって行く。大人になったらなったで、仕事や、家事の日常に追われ、過ぎたご先祖のことや、戦争のことなど考えたくもないと日ごろは思う。
祖父の手記
私の祖父は原爆投下の半年前から記録を日記と言う形で残し、出版していた。それを、昨年、私の姉で祖父の孫が英語版と現代の日本語を使って書き直した日本語版とを出版した。自費出版なので、全国の書店にあるものではない。恥ずかしながら前述のように原爆を避けてきた私は、姉が現代日本語に直した祖父の本をこのとき初めて読み、原爆と、広島と、家族と、自分が初めて太い線で繋がっているのを理解した。この日記にはアメリカが憎いとか、戦争反対などという言葉は出てこない。空襲の恐怖や、建物疎開の辛さや、食料のないひもじさなどが、経験者の目線で描かれている。筆者、祖父はこの体験を広島の人たちとは共有し、また戦争ということが市民にとってどういうことなのかを、後世に伝えたかったのではないかと感じた。姉は、それを私より早く悟ったのだろう、自費で、しかも、世界の人に伝わるように英語版での出版をした。おかげで、私も遅まきながら祖父の気持ちを受け継ぐことが出来た。
平和は洗脳から
振り返ると、小学校の頃から平和学習で洗脳されてきたことは自分にとってとても大切なことであったと思える。この(たぶん)広島市が行っている平和学習からは、誰が憎いとか、誰が悪いとか、誰が勝つとか負けるとか、そんなことは教わった記憶がない。 資料館はその象徴と思えるが、被爆に繋がっている広島の人の多くは、広島が体験したことを、誰でもいいから、見せたい、聞かせたい、と思っているのではないかと思う。
見て、聞いて
今回のオバマ大統領の訪問について、広島では謝罪など考えてもいない方のほうが多いと思う。マスコミの方々はそこら辺を扇動しないで頂きたい。 広島は、見てくれて、聞いてくれることが嬉しいのである。そうしないと始まらないじゃないですか。オバマさんが世界に向けて広島を伝えてくれたら、戦争が少しは遠のくかもしれないし。
黒い蝶
(ちょっと宣伝。 祖父が書き、姉が翻訳した本はたぶん書店では扱ってないと思います。もし興味のある方は私に直接連絡ください。本の題名は「黒い蝶」です。原爆投下までの半年の間と被爆ご数日がつづられた手記で、当時の広島市や疎開先での様子を、必死に家族を守ろうとしている一人の人間の視点から書かれています。英語版もありますのでオバマ大統領にもおススメです。)
20160526